思い出の…(1)
免許取得後、1年ほどから始めたモータースポーツ。
免許を取った頃といえば、田舎町ではあっても中心街の自宅という環境もあり、時代的にも、「走り」を追っていた最後の世代の暴走族も出没していた。知人の中にも、族に所属しないまでも、ストリートでヤンチャな走りをしていた輩もいたが、店主は、速く走ることに興味はあったが、警察の目を気にするような違法行為には興味がなかった。で、必然的に、連れと2人でモータースポーツ と相成ったわけだ。
さて、その方向として、限られた路面で速さを競うサーキットより、グラベルあり、ターマックあり、果てはガレ場あり(^^;; といった、ラリーの面白さに惹かれ、ダート走行を主体としたチームに。大学にも自動車部があったが、計算主体の大学ラリーであるコチラには目もくれず、JAF戦に繋がるチームへ。
当時乗っていたクルマは、TA40系セリカクーペ。EFIになった初期の2T-GEU搭載車だ。ボディサイズに対して非力とも言われたが、7000を超えて優に回るエンジンは楽しかった。といっても、6300くらいからは力が出ず、回ってるだけだけだった。最初は、アンダーガード、タンクガード、TRD低圧ガスショック、バネ、4点ロールケージ、4点式シートベルトと、ダートトライアル競技会出走に当たって、最低限の装備。モチロン、ラリータイヤとホィールもね。コレは所属チームの関係からADVAN。
ちなみにこのクルマ、81年だったか82年だったか、鈴鹿で行われたオールスターダートトライアルに、「クルマだけ」出走している。そう、当時 Bクラス車を探してた有名選手にお貸ししたワケだ。
さすがに荒れた路面を走ることにより、クルマは傷むし、タイヤなど、一戦走るだけで、ブロックごとゴムが捥げる。大学生だった当時、ミニバスケのお手伝いもしていたが、コレはボランティアなので、バイトも力を入れないと、ラリーにつぎ込む先立つものが無い。大学時代の思い出といえば、学校ではなく、ラリーとバイトとミニバスケに明け暮れたことだ。
こうして、久々にレーシングスーツを見ると、当時が懐かしく思い出されるね。20年以上放ってあったので、生地も黄ばんできている。ちなみに、スポンサーなど獲得できるワケないので、右胸のブランドは、愛用ブランドを並べただけ。気分だけね。(^^ゞ
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